Keep on Rockin'

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The Choice is yours

 
年が明け、学生生活最後のテストもおそらく終わり、学生生活最後の長期休みをひしひしと噛み締めながら毎日を送っています。
 
何か色々充実していたようでしていなかったかもしれない学生生活を振り返りながら、ふつふつと思い至ったことを書き殴ろうかと思います。
 
色々と感じて色々考えて今までの22年間生きてきたわけですが、特にここ直近の2年ぐらいは驚くほど濃かったなあと思いますな。
 
理由は単純明快で、おそらく人生において初めての経験である、自身で自分の道を作り上げてその道を選択をするという行為に至ったからかなあと。
 
まあ要するに就活を経験して少しは変わったのではないかなあということです。
 
捉え方一つ変えれば、これもまた結局はこれまで幾度となく多くの先人が繰り返してきた選択の轍を踏んだにすぎないのかもしれないけれども、少なくとも自分自身で考え抜いた結果だと思います。
 
これまで自分で選択したつもりになっていたことって結構あるんじゃないかなあって感じていて、例えば僕は中学受験をすることは「面倒」だと一蹴して地元の公立中学に進学したし、高校に関しても自分の学力のレベルに合ったところでチャリ通みたいな範囲で決めたし、大学も似たような感覚だったように思える。
 
何かとりあえず感は結局今思い返せばところどころあったんじゃないかなあと。
 
ところがどっこい就活に関してはそう簡単にいかなかったという点で死ぬほど考えたし、悩んだんだろうなと思う。
 
だから、直近2年の記憶がすさまじく濃く感じるのかなと。
最も直近の記憶なんだから当たり前やんって思うかもしれないけど。笑
 
それでも、時間的な感覚でいえば、2年の時間よりも小学校6年間のほうが密度は圧倒的に濃いはずだし、高校3年間の部活の時間のほうが長かったはず。
 
濃いっていう表現は、「覚えている」っていう感覚よりかは「思考(頭を使う)時間が長かった」っていう感じ。
 
そういう意味での直近の2年間は本当に濃いものだったなあと改めて感じる。
 
この感覚ってわりと大事なのかもなあって思ってて、全人類に共通して唯一無二平等に与えられている「時間」をいかに大切に使うことができてたかどうかかなあって。
 
別に、何の考えもなしに大学まできたわけではないけど、もっと深く考えて選択することもできたんかなあって。
 
そもそもこれまでの受験で関西外に出るなんて選択肢はそもそもなかったし。
 
そういう点では、地方出身で下宿しながら大学に通ってる子らに比べると俺ってなんも考えてなかったなあって今になってつくづく思う。
 
はたからみれば、恵まれてる環境だったっていう見え方するし、実際自分はそうだったって言えるけど、それが結果として濃い時間を自ら手放していたのかも。
 
そう考えると本当に今まで恵まれていたからこそ、勿体無い人生の時間の使い方をしていたなあと。
 
これまでの自分の人生を否定するわけではないけど、もっと濃い22年間を送れた可能性を考えると、ゾッとする瞬間がある。
 
22年ってオリンピック夏季冬季合わせてたぶん10回は開催されてるし。
 
これからの、これまでの人生もだと思うけど、人生選択の連続の積み重ねで、人生ってどれだけ多くの選択を自分自身でできたかどうかなのかなあって。
 
選択肢を自分で用意して一つの道を決めることが決断(断つことを決める)で、それを正解にし続けるってのは中々大変な労力を伴うけど、やっぱりそうしたほうが濃い人生送れるんだろうな。
 
何か嫌なことあったり、気に食わないことに対して、やれ社会が悪い、政治が悪い、親が悪いetc…
そういうのって、そういう選択をした自分にそもそもベクトルを先ずは向けるべきなのかもということを学べたのが就活だったり。
 
どんなことがあろうと、意思決定をするのは自分で、強引な意思決定を迫る環境なら逃げればいいし、逃げれないのであれば、どうにかする選択肢を自分で作るべきかなと。
 
こんなこと学校で教えてくれないし。笑
 
人生の冒険の本当の意味でのラスボスは他の誰でもなく、選択を面倒と少しでも思っちゃう自分自身なんだろうなあと思うこの頃でござります。
 
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