ショット1杯飲んだら2000円貰えた
皆さんRockですか?
僕は今日もRockです。
唐突ですが、お金欲しいですね。
僕は世の中で最も大切なモノは時間だと思っているんです。
人類が平等であるという最も覆し難い根拠があって、それは寿命に向かって今この瞬間も刻一刻と心臓の鼓動を打っているというコト。
でも、人間(一般的な現代人)は時間よりもお金を貰うと嬉しいと思うんですよね。何故だろう。
僕は何でかと言われると、今の所生活に困ってるわけではないし、欲しいものがあるわけでもない。ただ何となく、あるに越したことはないっていうよく分からない感覚があるから、としか言えません。
(寿命をお金として扱う世界観を描いた「Time」っていう映画がオススメです。)
僕らはお金が欲しいってめちゃくちゃ思っていなくても、アルバイトに精を出すし、値札を見るし、メニューの価格を見るし、旅行代の計算もするし、クレジットの支払い明細もみるし、今後の予定を考えて遊びも調節するし、時には睡眠を削る。
人間の欲求はもしかすると、お金に左右されているのかもしれませんね。
もはや現代では3大欲求ではなく、4大欲求になっているのかも。
それほどまでに、僕らは意図しない形でもって、お金に左右される時間を日々送っているようでなりません。
古くは物々交換(等価交換)から始まった経済ですが、今ではお金が中心です。
成功しているか否かは、お金を稼いでいるかどうか。
貧富の差というやつも、経済的に豊かかどうか。
自由か不自由かというのも、お金が絡んできます。
お金は価値であり、信用とされます。
一般的なサラリーマンの生涯賃金は2.5億円〜3億円とされています。
一般的なサラリーマンが何かで拘束される際の時給は2000円と伺ったことがあります。
対して僕の現在の時給は1300円です。
沖縄県のコンビニの時給は700円でした。
仮に僕が1秒でショットを飲み干すとして、時給換算すればいくらなのかという計算をしました。
ショット時給=720万円です。
ビルゲイツ氏に遠く及びませんでした。
おそらく僕はそんなことをすれば10回ぐらい生死を彷徨うことになるのでまずしませんが。。。
つまり、時間はお金と等価できるものではなく、価値や信用というものも人によって全く違うもの。
お金というものが世の中の価値基準や信用というものを狂わせているのではないかということです。
お金関連で「幸せは年収に比例するのは900万円まで」といった統計データがあります。
ここでの論点はズバリ、幸せって何ぞやってことです。
幸せの基準とやらは誰が決めるんでしょうね。
ある歌詞にこんなフレーズがあります。
人の幸せは人の不幸の上成り立つって?
僕がこのプリンを食べたら死者でも出るのかい?
ジャンケンとかすごい分かりやすいかなと。
世の中、勝ち負けとか成功失敗とか、白黒付けることにお金というものが絡んでくる限り、勝ちが幸せ負けが不幸という極論はなくならないのだろうなあ。
僕はショット1杯ですらどちらかといえばその瞬間は幸せでも、後々不幸な結末を迎えるんですが…
そういえば、YouTuberのヒカルが良いこと言ってたな。
「オレはただただ人気者になりたい」
つまり、どれだけ稼ごうが彼にとってはどうでもよくて、人気者になろうと必死に努力して努力し続けるからこそ、お金があるのだろうと。
ビルゲイツもおそらく稼ぎたいと思って稼いでるわけではないでしょう。
しかも何十億というお金を、様々な慈善事業をしている自身の財団に寄付しているわけで。
お金を稼ぐという感覚をまず捨て去らないと、僕らの時間は永遠にお金に支配される人生で終わるんだろうなあ。
Time is Money ?
いやいや
Time or Money ?
Are you rockin' ?